「自分のために生きていける」ということ

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仕事も勉強も頑張っているのに、なぜか毎日がつまらない。やった方がいいことがある、でもなぜかやる気が出ない。なんとなく満たされなくて寂しい。

こんな退屈感や寂しさを、生活の中で感じていませんか?

今日は、精神科医の斎藤学著「自分のために生きていけるということ」を紹介します。この本は、自分らしく生きるにはどうしたらいいか、を教えてくれる本です。

最初に断っておくと、この本はモチベーションを上げる方法を解説した本ではありません。勉強、仕事、家庭、とそれなりに結果を出してきたにもかかわらず、なんとなく感じている退屈感や空虚感。それをスルーせずに、精神医学の観点から真っ向から向き合った本です。

この本を読めば、退屈感や空虚感の原因、根本解決の方法まで全て理解できます。退屈で寂しい、こんな人生はイヤだ、と思っている人はぜひ読んでください。

退屈や寂しさを感じるのはなぜ?

タカマン
タカマン

ユーチューブは好きだけど、メチャクチャ好き!ってわけじゃない

まわりを見渡せば、テレビやユーチューブ、外食やディズニーランドなど、エンターテイメントが溢れています。しかし、暇つぶしに何かのサービスを消費しても「これが自分のやりたいことだ」という満足感がありません。つまり、退屈や寂しさを感じてしまいます。

ちなみに、アルコール依存症やギャンブル依存症、不倫などの問題行動も退屈や寂しさを紛らわすために行われていることがほとんどです。そのため、ただ辞めさせようと思っても、退屈や寂しさの根本原因を取り除かないと治りません。

なぜ退屈や寂しさを感じるのでしょうか。著者は以下のように分析します。

心の中には確かに何かの衝動が渦巻いています。けれども、その衝動を満たす方法が見つからない。それらしいものがあったとしても、それを人前に示すのが怖い。P32

つまり、自分のやりたいことがよく分からないし、なんとなくあったとしても、それをやるのが恥ずかしい、怖いのです。そして、適当なものでごまかしている。だから退屈なのだ、と。

これは直感的に分かる気がしました。子供のころに友達とゲームセンターに行ったときの話です。当時流行していた音ゲーがあり、私はやったことがありませんでした。友達から「一緒にやろう」と誘われましたが断ってしまいました。周りから「下手くそ」と思われるのが恥ずかしかったからです。結局、私はやったことのあるゲームばかり選んで遊んでいました。楽しいには楽しいですが、大きな満足感は得られませんでした。

大人になると、社会から「誰かのために生きる」、「こうするべき」、「こうあるべき」を強制されます。そして、そこから逸れると「へんな奴」と差別されたり「負け犬」と評価されたりします。他人からの評価を怖がるがゆえに、やりたいことが表現できず、退屈感や空虚感に悩まされてしまうのです。

どうして自分のやりたいことが分からなくなるのか

タカマン
タカマン

自分のやりたいことがとくにないんです

前章では、他人の評価が怖いから、やりたいことができていないのだ、ということを解説しました。しかし、そもそもやりたいことがない(見つからない)という人も多いのではないでしょうか。

これに対して著者は以下のように述べています。

「耐え難い寂しさ」の防衛されたものだと思います。たぶん、感覚鈍麻という防衛が生じているのでしょう。P41

「耐え難い寂しさ」が辛すぎるので、自分を守るために心をマヒさせている。だから、やりたいことがわからなくなっているのだ、と。どういう事でしょうか。

この「耐え難い寂しさ」とは、母親から拒否されてしまうという赤ちゃんとのときの感情です。赤ちゃんは母親なしでは生きていけませんから、この「耐え難い寂しさ」は非常に強い感情です。そして、その感情を大人になっても強く持ち続けてしまうことがあります。自分を愛することができていない、という状態です。言い換えると、自分は他人から愛される存在と思えていない、ということです。

これは、幼少期の人間関係が原因です。親が厳しすぎたり、両親の仲が悪かったりすると、子供は「自分が悪い子だから」と思うようになります。親の場合もあるし、先生や先輩が厳しかった、ということもあるでしょう。そして、「もっと良い子になれば、親から受け入れられるだろう」と考えるわけです。親が厳しい、両親の仲が悪い、というのは、もともと子供のせいではありません。なので、子供が良い子になっても親は変わらず、子供は「親から受け入れられている」と思えないまま大人になってしまいます。

そのまま大人になると、どうなるでしょうか。「私は他人から受け入れられて当然だ」と思えないわけですから、他人から「いいね」と言われるようなことしかできない。自分のやりたいことが分からない、というよりも考えられないといった方がよいかもしれません。

しかも「もっと良い子にならなければ」という思いでやることは、誰かの期待にそって行動することであり、自分のやりたいことではありません。やる気が起きないのも当然です。

退屈や寂しさの裏には怒りがある

タカマン
タカマン

でもいまさらどうすればいいのでしょうか?

やりたいことが見つからないのは、一言でいえば親の愛情不足が原因でした。でも、過去には戻れないし、いまさら親に変われといっても無理がありますよね。

では、具体的にどうすれば良いのでしょうか。

以下の4ステップを踏むことで、自分のやりたいことを見つけます。

  • ①認知のステップ
  • ②癒しのステップ
  • ③降りるステップ
  • ④戦うステップ

まずは、①認知のステップです。著者は、退屈や寂しさの裏にある怒りを書き出せ!といっています。

「おまえはダメだ、ダメだ」といわれて育った人は、-中略-自尊心を育てられません。-中略-痛みを痛みとして感じないように、心を防衛しているのです。鈍麻してしまった感情をいきいきとしたものに取り戻すためには、「怒る」ことが必要です。P121

今まで、あなたから健康な自尊心や自己評価を奪い取ったものについて怒れ。それによって傷ついていた自分をいたわれ。傷つけられたあなたが悪いのではなく、傷つけた方が悪い。傷つけられたあなたは、癒されなければならない。これ以上、自分を叱咤激励する必要はない。P122

非常に強いメッセージを感じます。怒りが自分の感情を蘇らせるポイントです。

ところで、怒るだけで自分のやりたいことが見つかるのでしょうか?

著者はさらにこうも言っています。

怒りとは、欲求が満たされないことに対する自然な反応ですから、怒りがあるとは、欲求があるということです。

安心してください。欲求は、今はわからないかもしれないけど、自分の中に眠っているということですね。

自分の心の声を聞こう

タカマン
タカマン

怒りは出たけど、まだやりたいことはよく分からないな

怒りを吐き出せたら、次は②癒しのステップです。自分を癒して、心の奥にある自分の声を聞きます。

幼いころに「自分が悪い子だから」と心の中に閉じ込めしまった声を聞くのは、容易ではありません。

今まで「まだまだ自分には人に愛してもらう価値がない」、「もっと頑張らないと」と自分に言い続けてきました。これは、自分いじめをずっとしてきた状態といえます。この洗脳を変えるためには、「あなたは受け入れられて当然だよ」という逆洗脳が必要です。具体的には以下の2つの方法があります。

  • アファメーションのCDを聞く
  • 和解的に「NO」と言う練習をする

アファメーションのCDとは、「あなたはそのままで愛される存在である」と優しく語り掛ける音声が収録されたCDです。

変なCDと思わないでください。実際に聞きましたが、とても心地よい子守歌のように感じました。もし、手に入らない場合は、自分を受け入れてくれるような歌詞の歌を繰り返し聞くと良いでしょう。繰り返し聞くことで、「もっと頑張らないと(人から愛されない)」という思い込みを外していきます

次に、和解的に「NO」と言う練習をします。自分を愛せていないと、人に「NO」と言えません。「NO」と言ったら相手から嫌われる、と思っているからです。でも、普通は「NO」と言ったぐらいで嫌われることはありません。

「和解的に言う」がコツです。つまり、「あなたのことは好きだけど、これはイヤですよ」という感じで伝えます。こうして、「NO」と言っても嫌われない、相手から受け入れられるという経験を積みます

パワーゲームを降りて安全な場所をつくる

自分を癒したら、次は③辞めるステップです。

やりたいことをみつけるために、安全な場所をつくることが必要です。あなたを評価したり攻撃したりする人がいない環境です。この安全な環境で、自分を出す練習をします

じつは、安全な場所をつくるにはパワーゲームを降りる必要があります

パワーゲームとは、勝ち負けで戦うゲームのことです。私たちの生きる社会は、パワーゲームということができます。学歴、地位、収入、人気など私たちを評価するものは無数にあります。男性なら身長、女性なら美人かどうか、などもあるでしょう。

そして、やりたいことが見つからないと悩んでいる人は、このゲームのどこかで敗北したはずです。ずっと勝ってきた人なら、他人の目なんか気になりません。

今までは「こうあるべき自分」になろうと努力してきたはずです。できなければ「自分の意志が弱いのだ。もっと頑張らなければ」と自分を叱咤激励してきたのではないでしょうか。その「意志の力」を信じるのを辞めましょう。著者は下記のように言っています。

「意志の力」は万能ではありません。-中略-「意志の力」は別の力に負けたのです。意志の力は別の力に負けるときが、必ず来ます。P209

言い換えれば、負けを認めます。自暴自棄になれ、といっているわけではありません。負けを認められないと、勝ち負けでのみ評価される危険な人間関係から抜け出せないからです。

別の力とは、自分の欲望や本能、他人からの愛情などでしょう。退屈や寂しさを感じている人は、勝ち負けよりも自分の欲望や愛情のほうがずっと大切だ、と感じているということです。

自尊心をもってパワーゲームを戦う

タカマン
タカマン

あれ、パワーゲームを戦うのはやめるんじゃなかったっけ?

最後に④戦うステップです。いくらパワーゲームを降りるといっても、完全に辞めてしまったら社会で生きていけません。生きていくには、社会の中でお金を稼ぐ必要があります。

パワーゲームから降りるというのは、ゲーム自体を降りることではなく、勝ち負けの結果にこだわるのをやめることなのです。P132

勝ち負けの結果にこだわるのをやめる、言い換えると自尊心をもってパワーゲームを戦おう、となります。

サッカーの試合のようなイメージです。正々堂々とゲームを戦い、負けるときは素直に負けを認める。能力不足だと感じたら、力を蓄えてまた挑戦する。ゲームが終われば、対戦相手とユニフォームを交換する。

世間の評価と自分の価値は別だ、と考えます。負けたからといって、自分には価値がないとか、人から愛されない、なんてことはないわけです。

なぜ、勝ち負けにこだわってしまうのでしょうか。

なぜ勝ち負けにこだわってしまうのかといえば、自分の本当の欲望からそれたところでゲームをしているからなのです。好きでもないことをやっていたら、せめて勝つことぐらいにしか、楽しみが見出せないからです。P134

あなたの本当の欲望は何でしょうか。モテたい、お金が欲しいなど人前で堂々と言うのが恥ずかしいものかもしれません。でも、それでいいのです。

パワーゲームから降りたら、無気力なダメ人間になってしまうのでは?という不安を持った人もいるかもしれません。その心配は不要です。

じつは、結果偏重の価値観から降りたところに、本当の喜びがあり、本当のパワーがあるのです。P134

勝ち負けの結果が全てなら、負ければそれまでの努力は全てムダになります。しかし、自分の欲望のためなら、目標に向かって努力する過程自体が楽しいはずです。負けても「つぎ頑張ろう」というパワーが湧いてきます。誰かに「いいね」と言われなくても、自分の心を満たしてくれます。そこには、退屈感や空虚感とは無縁の世界が広がっています。

生き方を実現するために戦おう

パワーゲームから降りるのか、戦うのか、どっちなの?と感じるかもしれません。でも、これはどちらが大切か、という話ではありません。

③降りるステップで自分のやりたいことは、少しずつ出てきているはずです。

自分のやりたいこととは、自分の心地の良い「生き方」ともいえます。それは、大切な人とゆっくり過ごしたい、自由に働きたい、世界を旅行したい、など人によってさまざまです。そして、自分の「生き方」を実現するために、パワーゲームを戦うのです

パワーゲームで勝つことが人生の目的ではありません。そうなれば、自分は何のために生きているか分からなくなって当然です。

最後に著者のメッセージを伝えます。

「他人のために」「社会のために」生きることを、気づかぬうちにあなたの人生の中身にしてはならないのです。「自分のために生きていく」ことこそ、まず第一にあなたが追及することです。P103

「私は世のため、人のために生きている」などという、一見、善意にあふれた人の行動ほど危険なものはありません。この種の善意は、自分にも他人にも残酷なルールと批判を押し付けてくるからです。P104

自分の生き方を追求することは、わがままなことではありません。自分の生き方を追求して、結果的に誰かのためになるのなら素敵ですね。

この記事を読んでくれた方が少しでも自分のやりたいことを見つけ、生きやすくなることを願っています。

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